東京パラスポーツスタッフ認定者インタビュー(18)陸上競技(身体) 義肢装具士/メカニック 臼井二美男さん(2021/2/1)

臼井二美男さんの写真

いつも何かにチャレンジしたくなるような義足をつくっていきたい。
続ける原点は「走ったら誰でも喜び笑顔になる」ということに尽きる

「脚の代わりを製作する」のではなく、「その人の少し先の未来に役立つ義足」をつくる

~義肢装具士を志された経緯のエピソードを教えてください。~

28歳まで、今で言うフリーター生活をしていていたのですが、手に職を付けなければと職業訓練校に申込に行った際、「義肢科」の存在を知り、小学6年生のときの記憶が鮮明に蘇りました。その記憶というのは、担任の女性の先生が若くして病気で長期入院し、治療後に教室へ帰ってきたときには大腿部から下を切断されて義足を付けていたことです。先生はスラックスの上から義足を触らせてくれたのですが、自分の脚とは違う感触は正直言って子供心にショックでした。
 そういう記憶に導かれるかのように義足に興味を持ち、職業訓練校の義肢科に入る手続きをしたのですが、義足をつくる現場をまったく知らないことに気づき、見学させてもらおうと電話帳で調べて訪ねたのが鉄道弘済会だったのです。しかも、「ちょうど欠員が出たから、訓練校へ行かずに見習いとして来ないか。学校へは講師を派遣するほどの関係なので、こちらからお詫びしておくから」と誘われ、その年の4月から働くことになりました。

~義肢装具士として心がけていることをお聞かせください。~

脚を失い義足を利用する原因は、事故や疾病、または生まれながらなのか、性別も年代も生活環境も、ましてや脚の長さも太さも、人それぞれで、まったく違います。
 そういう異なる一人ひとりにきちんと向き合い、「街を歩きまわりたい」「旅をしたい」など、いつも何かにチャレンジしたくなるような義足をつくっていきたいです。
 当たり前と思っている「二本の脚で立ち、歩く」という動作は、実は、そんなに簡単なことではないのです。
 ただ単純に「脚の代わりを製作する」のではなく、「その人の少し先の未来に役立つ義足」をつくることを心がけています。

新婚旅行で出かけたハワイで見つけた義足を研究材料として購入

~生活義足をつくられる日々の中で、スポーツ用義足を製作されようと思われたきっかけを教えてください。~

今から35年以上も前は、自分のまわりでも、生活用義足で走ってみる人はいたのですが、早く走ると痛かったり義足を折ってしまったりと、スポーツをあきらめる状況でした。
 ところが、当時でも欧米ではパラリンピックに出場して義足で走る選手がいることを知り、衝撃を受けたことを覚えています。
 それと前後するときに新婚旅行で出かけたハワイで電話帳をめくって義肢装具工場を見つけ、カタコトの英語で許可をとって見学へ行って見せられたのが、カーボンファイバー製の足部(そくぶ)が曲線を描く義足でした。見せられたというよりも「まだ日本にはこんなものはないだろう」と見せつけられたように感じました。
 帰国後、そのスポーツ用義足を研究材料として会社で購入してもらい、自分が担当する若い患者さんの義足に取り付けたのが始まりです。

原点は、「走ったら誰でも喜び笑顔になる」

~スポーツ用義足の製作を通じての「やりがい」や「気づき」はありますか。~
臼井二美男さんの写真1

スポーツ用義足をつくり始めた当時は、製作そのものよりも当事者を含めて周りの人たちの理解を得ることに苦労しました。
 脚を切断するという大きな出来事を経験した人は「もう歩けない。走るなんて無理」という諦めのような気持ちが先にあって、まさに前に歩み出せない人が多いものです。
 また、看護師や同僚からは、「転んで傷口が広がったらどうする」「病気が重くなったら責任とれるのか」といった危険視する声がありました。
 それでも、やり続けようと決めた原点は、「走ったら誰でも喜び笑顔になる」ということに尽きます。
 健康な人は走りたいと思えば走れるけれど、脚を切断したときから一生走れないと諦めていたのに、少し練習をすると再び走れるようになって涙を流す人もいます。
 そういう姿を見たらやめられないし、こうやって喜ぶ人たちが増えてほしいと願って、まわりからなんと言われようと続けなければならないと感じました。

スポーツを楽しむことで、より豊かな日常生活を送ってほしい

~スポーツ用義足を使うランナーの活動として「スタートラインTokyo」を行われていますが、その活動内容について教えてください。~

小学生のときに足を切断して以来、走ることを諦めていた女性がスポーツ用義足を付けて10年ぶりに走り始めたのに、突然立ち止まってしまいました。足を痛めたのだろうかと心配したら、「また走れた」と嬉しくて大粒の涙をポロポロあふれさせていたのです。
 そして、こういう喜びをもっとたくさんの人に味わってほしいと思い、始めたのがスタートラインTokyoの活動なのです。現在ではメンバーが200名を超えて、定期的な練習会には50名前後が毎回参加していますが、30年前に始めた当初は5人もいなかったです。
 この活動をきっかけに、鈴木徹選手が走り高跳びで2000年のシドニー大会に日本代表選手として出場を果たしてスポーツ用義足を使う人たちの目標となったことで新たなパラ選手が誕生し、そして、その選手が次の世代の憧れになっていくという大きな流れができました。
 ただ、スタートラインTokyoの活動は、パラリンピックに送り込む選手の育成を目的にはしていません。スポーツを楽しむことをきっかけに、健康維持や仲間づくりを行うことで義足のある生活を楽にし、より豊かな日常生活を送ってほしいのです。
 パラリンピック出場を夢として目指す人もいますし、メンバーの中にはカヌーや登山にも楽しみを見つけて練習会をサボりがちになった人もいます。(笑)
 メンバーそれぞれに歩んできたストーリーをわかり合い、未来への歩みに寄り添う。スタートラインTokyoは、そんな活動です。

義足を選手一人ひとりが使いこなし、全力で走ったり跳んだりする姿を目に焼き付けてほしい

~「スタートラインTokyo」で活動する一方で、パラリンピックに出場するトップアスリートの支援も行われていますが、どのような関わり方をされていますか。~
臼井二美男さんの写真2

トップアスリートは、試合が近づくと緊張してきますし、義肢に対する要望や要求も多くなってきます。ですので、年間7つくらいの大きな試合には全て同行しています。
 ただ、トップアスリートをきちんとケアすることは大切と思っていますが、もっと大切にしたいのは、走り始めた人を子供や競技初心者が対象となっている都大会やはばたき大会(※)などの大会にエントリーするよう誘導することです。
 なぜなら、今現在トップに立つアスリートたちも、初めは、東京都や区が主催する小さな大会からステップを踏んで積み上げてきているのであり、同じように陸上競技に興味を持ち始めた人たちを「パラアスリートへのスタートラインに立たせる」ということが大事だと思っているからです。
 だから、大会に誘ってから申込用紙に記入して提出するまで、自分でやっちゃうんです。(笑)

※都大会:東京都障害者スポーツ大会
はばたき大会:東京都障害者スポーツセンターで行われる大会

~パラスポーツスタッフ認定制度について、感じる意義や今後に期待することをお聞かせください。
また、スタッフの立場からパラスポーツ、パラ陸上競技の面白さ、見どころは、どのようなところでしょうか。~

監督やコーチ、トレーナーなどアスリートを指導する方は多くいますが、車いすや義足などモノづくりの次の世代を担う若いスタッフがあまり多くないように感じます。もう少し、こうした分野のすそ野を広げていく必要があるのではないでしょうか。
ここ、鉄道弘済会義肢装具サポートセンターでも若手の義肢装具士を対象に、スポーツに関する教育をしていているところで、認定を受けられるレベルに達するように指導していきたいと思います。
また、義肢装具士の目線でのパラスポーツの魅力は、極限まで鍛え上げたアスリートの心技体の人間能力と義足という技術とのコラボレーションが生み出す能力の面白さです。

たとえば、走り幅跳びのマルクス・レームというドイツのパラ選手は、オリンピックの記録以上に跳んでいるのですが、「義足に付けた板バネが有利に働いているのでは」と大きな議論になりました。
しかし、同じ材料と同じ形状の板バネの義足を履けば誰でも大記録を叩き出せるのかと言えば、答えはノーです。レーム選手が義足という人工物である代替機器を使いこなして、あれだけの結果を出すには、残された筋力やバランス能力、体幹そのもの、体を動かすスキルを磨き続けなければならないからです。
何より、記録にとらわれるのではなく、欠損した脚を補う義足を選手一人ひとりが使いこなし、全力で走ったり跳んだりする姿を目に焼き付けてほしいです。
そして、パラスポーツは、ひとりの選手にかかわる人が多くいて、その多くの人で喜びを分かち合うことで、さらに喜びが大きくなっていくことが一番の魅力であり、携わり続ける醍醐味なのだと思います。

もっと障害者スポーツが認知されれば、大成功だったと言われるロンドン大会に優る以上のパラリンピックが開催できる

~パラスポーツやスポーツ用義足の未来は、どのように発展していくと思われますか?
また、期待されていますか?~
臼井二美男さんの写真3

パラスポーツに関しては、日本には、すべての国民が等しく福祉を受けられる法律が整備されていて、その認識がベースの上に障害者スポーツがあります。すなわち、特定の地域や人だけが恩恵を受けているわけではないので、もっと障害者スポーツが認知されれば、大成功だったと言われるロンドン大会に勝る以上のパラリンピックが開催できると思っています。
スポーツ用義足については、スタートラインTokyoのようなスポーツクラブが民間の義肢製作所を中心に全国で10ヵ所に増えました。また、この鉄道弘済会義肢装具サポートセンターでは年間事業としてスポーツ用義足の製作に取り組んでいるので、若手の義肢装具士も育っています。このように、全国各地で取り組みが活発になり、次の世代へ技術が継承され、横方向へも縦方向へも広がっていて、大いに期待しています。
また、スポーツ用義足を使うパラスポーツは、走る以外にも陸上競技では幅跳びや高跳びがあり、そのほかの種目ではトライアスロン、自転車、ボート、バドミントン、スキーなどにも広がっています。
今後は、それぞれの競技に適していて、それぞれの選手にフィットする義足の研究や開発が求められていくことになります。

インタビュー: 2020年11月25日