東京パラスポーツスタッフ認定者インタビュー(14)車いすフェンシング/トレーナー 牛込公一さん(2020/3/9)

牛込公一さんの写真

【プロフィール】
うしごめ・こういち 1969年、千葉県生まれ。
障害者スポーツトレーナーという名称がまだ一般的ではなかった頃から車いすバスケットボール「千葉ホークス」のチームトレーナーとして関わるほか、複数の競技でトレーナーとして活動したのち、車いすフェンシングへ。現在はトレーナーだけではなくNPO法人日本車いすフェンシング協会の理事としても活動。

車いすを専用の器具で床に固定して上半身だけで競技する「車いすフェンシング」。障害の程度に応じて2つのクラスに分けられますが、基本的には通常のフェンシングとほぼ同様のルールです。今回、長年障害者スポーツのトレーナーとして活躍し、現在、日本車いすフェンシング協会理事も務めている牛込公一さんにインタビューしました。

一生懸命やっている人を応援したい

特定の競技にとらわれず、「選手個人」をサポートしたい

~トレーナーになったきっかけを教えてください。~

最初は臨床検査技師をやっていたのですが、患者さんとのコミュニケーションをもっと増やしたいという思いがあり、整骨院を開業させました。その一環で、スポーツトレーナーの世界へ移りました。その後、車いすバスケットボールチーム「千葉ホークス」のトレーナーになったのが、障害者スポーツと関わった始まりです。その頃は「トレーナー」という名称もあまり浸透していない時代でした。

~障害者スポーツに関わってみていかがでしたか。~
牛込公一さんの写真1

最初は障害者スポーツ自体をあまり知りませんでしたが、競技に打ち込んでいる選手たちの姿を見て、障害の有無に関係なく、一生懸命スポーツに取り組んでいることに衝撃を受けました。

~なぜ車いすバスケットボールから車いすフェンシングに転向されたのですか。~

それは安直樹選手(東京アスリート認定選手)の存在です。彼は元千葉ホークスの選手で日本を代表する選手でしたが、東京2020パラリンピック出場を目指して「車いすフェンシング」に転身しました。そこでトレーナーが不在だったので、私も車いすフェンシングに移りました。当時、私は車いすバスケットボールからも離れていて、健常者の陸上競技のトレーナーだったのですが、再び障害者スポーツに戻ったわけです。
 私は一生懸命にやっている人を応援したいので、「競技」ではなく「選手」についていくことにしています。

~トレーナーとはどのような役割なのでしょうか。~

障害のない方のメジャーなスポーツであれば、メディカル、フィジカル、メンタル、栄養など分野ごとにトレーナーがいて、役割の棲み分けが出来ていると思います。私の場合は、食事やフィジカル、メンタルなど、広く全てをやらないといけません。そのために、とてつもなく勉強しました(笑)

車いすフェンシングは日本ではまだ発展途上の競技

~サポートを行っていて、やりがいを感じたこと、難しいと思ったことなどがあれば教えてください。~

合宿や大会遠征などに帯同するようになりましたが、トレーナーの仕事は24時間体制で取り組まなければなりません。選手の練習中だけの、朝から夕方までの決まった時間で務まるものではありません。車いすバスケットボール所属の時でしたが、急に発熱してしまう選手、骨折してしまう選手などに対応する必要があり、いつも以上に気を張っています。

牛込公一さんの写真2

1人で大勢の選手を診るわけですから、例えば車いすバスケットボールであれば選手は5人いますので、試合前に1人10分だとしても最低1時間はかかります。その時、スターティングメンバーを診るのか、ケアが必要な症状の重い選手を診るのか、何を優先して動くのかも問われます。自分本位で動いてしまうと、選手が不満に感じ、トラブルを起こすことなども経験から学びました。選手やコーチなどの意見を確認しつつ、相談し、事前に情報を伝えることが、サポートには大切なことだと思います。

~選手たちと接するうえで心がけていることは何ですか。選手たちとのコミュニケーション術のコツなどがあれば教えてください。~

全員と話すようにすることです。人間ですから、どうしても付き合いやすい人、話しかけやすい人がいて、話す頻度も偏りがちになります。でも、周囲からは誰それを優先的に診ている、贔屓をしているなど、誤解を招くので、誰とでもフラットに会話しながら、バランスをとるようにしています。

一人では出来ない、手を繋げる人が必要

~「スタッフ」とはどういう存在だと考えていますか。~

完全にサポート役です。中心にいる選手を囲んでいる人たちです。一人では出来ないし、手を繋げる人たちが必要で、選手たちを常に上に押し上げていかなければいけません。自分たちが上に乗ってしまってはいけません。

●「東京パラスポーツスタッフ」に認定されて、どのようなお気持ちですか。また本制度についての感想をお願いします。

この制度をきっかけに、スタッフを長く続けられる環境を作ってほしいです。長年パラスポーツに関わってきた人たちに対して表彰をするなど、それこそ「スタッフになりたい!」と思わせるぐらいに、この制度をずっと続けて欲しいし、広めて欲しいです。

~スポーツファンの皆さんに、車いすフェンシングの見どころや魅力をお願いします。~

やはり「駆け引き」と「瞬間的に決まる勝負」ですね。試合は「プレ(用意はいいか?)」「アレ(開始!)」の合図で始まり、その後、1秒以内にポイントがつく競技は、他にはなかなか無いはずです。だからこそ、試合前の駆け引きから見ていただきたいです。

牛込公一さんの写真4

選手の隣にいると、緊張の度合いやマスクの中の目線で駆け引きが始まっていることが分かります。ただ観客席からでは分からないので、選手たちがそうした駆け引きをしていることを、知っていただくだけでも競技の見方が変わってくるはずです。

~今後、車いすフェンシングをはじめ、障害者スポーツの未来への展望、夢があったら教えてください。~

トレーナーではなく理事としての考えなのですが、まずは競技に関わる人、特にコーチを増やすことです。選手を増やすことについては、いろいろなアプローチが行われていますが、コーチが少ない状態なので、競技経験者であるコーチを増やして「質」を高めていきたいと思います。

NPO法人日本車いすフェンシング協会
https://jwfa.jimdofree.com/
牛込公一さんの写真5

まとめ

取材は2019年9月に開所したばかりの「ナショナルトレーニングセンター(NTC)屋内トレーニングセンター・イースト(東館)」で行いました。明るくて綺麗な施設で牛込公一さんや選手の皆さんもここで練習するのが楽しみだそうです。障害の有無や競技種目にとらわれず、トレーナーとして15年以上のキャリアを持つ牛込さん。ご自身でも今、車いすフェンシングの日本代表のスタッフとして関わっていることは、「自分の背負っている役割の重みを実感して、今まで辞めずにやってきて良かった。」という言葉もありましたが、全ての経験が今に繋がってきている牛込さん。これからのご活躍もさらに楽しみです。