東京アスリート認定選手・インタビュー(52)
加藤健人選手(港区) 5人制サッカー(2020/1/28)

加藤健人選手の写真

【プロフィール】
かとう・けんと  1985年10月24日生まれ アクサ生命保険株式会社所属
2019年 日本選手権 優勝

5人制サッカー(ブラインドサッカー)はアイマスクをつけている選手4人と、つけていないゴールキーパー、監督、ガイド(コーラー)の3人が声を掛け合い、協力しあって行われる競技です。見えない中で、カバーリングをする、空いているスペースに移動するなど、『ボールのないところのプレー』に注目すると、ブラインドサッカーの凄さがより一層分かると加藤選手は話します。

~ブラインドサッカーとの出会いを教えて下さい~

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小学校3年生からサッカーを始めて、当時はJリーグが開幕したばかりということもあって、自分もJリーガーを夢みていました。聖光学院高等学校(福島県)に進学し、サッカーを続けていたんですが、高校3年生で病気に気づいた時にはすでに片目の視力はほとんどありませんでした。

そこから徐々にもう片方の視力も落ちていきました。自分の周りに視覚障害者がおらず、自分自身も障害に対して偏見があったので、当初は自分の障害を周囲に隠していました。これから自分はどうなるのか、それまで思い描いていた仕事、結婚、夢など、もう叶えることが出来ない、人生終わったなと絶望し、家に引きこもることが多かったです。

そんな自分を外に連れ出し、ブラインドサッカーに引き合わせてくれたのは両親でした。両親がこの競技を見つけてくれて、自宅から一番近かった筑波のチームを観に行ったのが、最初の出会いです。

~ブラインドサッカーの最初の印象はいかがでしたか?~

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初めて観た時は本当にびっくりしました。自分がやってきたサッカーとは少し違うとは思いましたが、アイマスクをつけて音の鳴るボールでサッカーをするのは、単純に凄いなと。

もともとサッカーの経験があるので、足元にボールがあればドリブルはある程度できましたが、トラップは難しかったですね。ボールを止めることは、見えていたら誰にでも出来る簡単な行為ですが、音だけでボールを探して足元で止めるということが、最初は本当に難しかったです。

~「やってみよう」と思った理由はなんですか?~

自分が観に行った筑波のチームは同年代の選手も多く、彼らが「一緒にやろう」と誘ってくれたことが、きっかけです。

『ここでサッカーをやっていいんだ』という嬉しさはもちろんですが、何よりも『必要とされている』ということが、当時の自分の気持ちを揺り動かした一番の理由でした。その時に誘ってくれた仲間とは今でもつながっています。

~2007年から日本代表になりました~

筑波技術短期大学に進学し、ブラインドサッカーを始めた2005年に関東リーグで新人賞を取ることが出来ました。その時にもっと上手くなりたい、いつかは日本代表になりたい、もっと上を目指したいと思うようになりました。

2007年、大学3年生の時に初めて日本代表に選ばれて参加した国際大会で、国歌を斉唱した時は、ゾクゾクしたというか、日本代表を一番実感した瞬間でした。今でも印象に残っています。しかしながら、試合では日本代表という重みからくるプレッシャーと緊張で、思うようなプレーは出来ませんでした。

~その時の感想はいかがですか?~

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初めての国際大会を終えて感じたのは、ただ日本代表になりたいという思いだけではだめだということ。『世界の舞台で自分はどうしたいのか』という気持ちをしっかり持たないと、結果はついてこないと実感しました。

だから、それ以降は『自分は日本の勝利に貢献する選手になりたい』という目標に変わり、そのためにどうすべきかを、より考えてプレーするようになりました。『自分のため』から『日本の勝利のために』と意識が変わった転機が2007年だったと思います。

~世界で戦う上で、必要なことは何でしょう~

練習はもちろん、日常生活においても体重を毎日量ったり、睡眠時間を記入したり、食事に気を使うなど、体調管理に取組んでいます。

試合においても、相手チームがどういうチームかということが事前に頭に入っていれば、自分はその試合でどこのポジションに入って、どう動くのか整理が出来るので、試合に入りやすいです。

いくら格上であっても相手をイメージできていることで、気持ちで負けてしまうことはなく、しっかりと準備が出来れば、必ずいい結果につながると思っています。

~東京2020大会に向けての意気込みを教えて下さい~

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日本代表8名の中に、自分が選ばれるとは決まっていないので、まずは選ばれるために、日本代表合宿や、これからの大会でしっかりと結果を出していきたいと思います。

パラリンピックに日本が出場するのは初めてとなりますが、出ればいいというわけではなく、日本代表としてメダルを取りたいです。どんな結果を残すかで、今後のブラインドサッカーの未来が変わってくるだろうし、それくらい大きな意味をもつ大会だと思っています。

個人的には、東京2020大会が開催される年には、子どもが2歳半になっているので、自分がプレーしている姿を見せたいですね。それを叶えるためにも、まずは代表に選ばれて、競技場のピッチに立たなくてはいけないと思っています。そういう意味でも、東京2020大会には強い思いを持っています。

~東京2020パラリンピック開催後のブラインドサッカーの未来をどうお考えですか?~

この競技の魅力は、障害の有無に関係なく、一緒に出来るスポーツです。大会をきっかけに、まずは皆さんに知ってもらわないといけないと思うし、知るだけではなく多くの方に体験してもらい、関わってもらいたいです。

正直、日本では障害に対する理解はまだまだだと思っています。そのためにも、この競技を通して視覚障害をもっと身近に感じてもらい、理解を深めて欲しいです。

~普及にも努められていますね~

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特に子供たちは素直で先入観がありません。子供のうちから障害者スポーツを体験することは、障害を理解する上でとても大切なことです。学校を訪問した際に、最初は障害者として自分を見ていた子供たちが、プレーを見て歓声を上げ、それまで障害者という括りで見ていた自分を、対等の立場、さらには尊敬のまなざしで見てくれるようになります。そこには障害者という括りはありません。そんな意識が当たり前となる世の中になって欲しいと願っています。

これからも日本ブラインドサッカー協会がやっている活動に関わったり、個人的にもイベントや講演などで、自分の経験を生かしていけたらと思います。そういった普及活動などは東京2020大会が終わってから動き出すのでは遅いと思っています。

今、盛り上がっているこの時期に、選手としてこの競技を広報する活動も並行して行っていきたいです。

~最後になりますが、東京で自分だけの特別な場所はありますか?~

試合や遠征の前になると、表参道と代々木にある美容室に必ず行きます。ルーティンとまではいかないですが、試合前に必ずやっていますね。髪を切ることで気持ちを切り替えるということもありますし、担当の美容師さんはサッカーに詳しいので、サッカーの話が出来たりして、何も考えずにリラックスできる場所です。

自分は髪型とか髪の色が大会や試合によって毎回違うので、そういうイメージで見ていただければと思います。東京2020大会ではどうなっているか、是非見ていてください(笑)。

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