東京アスリート認定選手・インタビュー(51)
眞田卓選手(文京区) 車いすテニス(2019/12/12)

眞田卓選手の写真

【プロフィール】
さなだ・たかし 1985年6月8日生まれ。 凸版印刷株式会社所属
2018年 アジアパラ競技大会 ダブルス金

19歳の時、事故で障害者となった眞田卓選手。リハビリをするために通った東京都障害者総合スポーツセンターで車いすテニスと出会いました。そこで国枝慎吾選手をはじめ、多くの車いすテニスプレーヤーを指導した星義輝さんに教わり、高いレベルを目指すようになりました。3度目のパラリンピックを目指す彼のこれまでと、これからについてお聞きしました。

~東京都障害者総合スポーツセンターで車いすテニスを始めたそうですね~

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僕はもともと健常で、19歳の時の交通事故で障害者になりました。足がなくなってこの先どうしたらいいのか、とても悩む時期でしたし、外に出ることに対して人に見られたくないという恥ずかしさがありました。

そんな時、ハンディキャップを持った、同じ境遇の人たちと出会えるコミュニティは、障害者となった自分にとって、直接アドバイスが聞ける貴重な場所でした。

いろんな障害を持った人がいて、その人達が普通に生活し、スポーツを楽しんでいる環境に触れることで、外に出ることへの恥ずかしさは消え、自分の世界観が変わりました。今、自分がこうしてアクティブに生活出来るようになったのは、王子の東京都障害者総合スポーツセンターのような場所があったからだと思っています。自分の世界を広げるきっかけになった思い出深い、大切な場所です。

~車いすテニスを始めた頃の様子を教えてください~

リフレッシュの一環として、たまたま参加したコミュニティが車いすテニスだったので、20歳から25歳くらいまでは趣味として月に2、3回楽しむ程度。大会に出てもあまり成績は気にせず、みんなで楽しむために参加していました。
 当時は、自分の中でパラリンピックというものがあまりピンとこないというか、正直興味がなくて(笑)。仕事の方が優先でした。国枝選手が北京2008パラリンピックでメダルをとって、車いすテニスが社会的にフォーカスされたことによって、少しずつパラリンピックを身近に感じるようになっていきました。それでもまだ当時はパラリンピックに出たいという意識はなかったです。

~本格的にパラリンピックを目指すきっかけを教えてください~

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転機となったのは2008年。23歳の時に転職した会社で、「車いすテニスでロンドンを目指してみろ」と言われ、「出るためにどうしたらいいのか、まず調べてみなさい」と言われたんです。そこでパラリンピックに出るにはどうしたらいいのかをレポートにまとめたら、それが企画提案書という形になって、社内でその提案が通ったことで、本格的にパラリンピックを目指すことになりました。

それがロンドン2012パラリンピック競技大会開催の1年半前。提案書を出して1年半後には、ランキング10位で大会に出場していたという、凄くラッキーが重なったというか、素敵なご縁と幸運で、そこまでたどり着くことが出来ました。

~1年半でよくパラリンピックに出場できましたね~

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「パラリンピックを目指そう」となったものの、海外の大会への出場方法など、分からないことだらけだったので、まず相談したのは国枝選手と齋田悟司選手。2人にくっついて海外をまわって、いろいろと教えていただきました。

2人とも年上ですし、サポートしてくれるお兄さんという感じ。相談相手でもあり、仲間であり、ライバルである、そんな存在です。2人がいたおかげで、海外に挑戦できる環境を整えることが出来たと思っています。本来ならライバルとなる関係ですが、車いすテニスは選手同士とても仲が良いんです。そういった環境にも恵まれたと思っています。

~競技を続ける上での苦労はありますか?~

遠征が多いので、飛行機での長時間移動や、時差が辛いですね。基本、個人で移動するので、移動中に体調を崩してしまわないか、車いすが壊れてしまわないかなど、心配や不安は常にあります。テニスは大会へのエントリー、飛行機の手配、コーチの手配や現地との連絡など、全部ひとりでやるので、とてもハード。団体競技の人がうらやましいです(笑)。

お金もすごくかかるので、いざパラリンピックを目指そうと思っても、まずはそこがネックになります。僕の場合は、それを目指すきっかけが、自分のプレゼンから始まったこともあり、スポンサーに関しても、今まで車いすテニスを支援したことがない企業に対して、積極的にプレゼンして開拓してきました。

そういったことは嫌いではなかったし、むしろセカンドキャリアを見据えた時に、プレゼン力や提案力など、企業人としての側面は重要だと思っています。素敵なご縁があったからここまで来られたと思いますが、積極的に開拓していく姿勢も大切だと思っています。

~いよいよ東京2020大会が近づいてきました~

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自分のクラスは4枠ありますが、すでに1枠は国枝選手で決定しています。来年6月8日時点での世界ランキングが選考基準となり、残り3枠を日本人4、5人で争うことになります。どういうめぐりあわせか、6月8日は自分の誕生日なので、そこでいい誕生日プレゼントがもらえると嬉しいです(笑)。

今回出場出来れば、3回目のパラリンピックとなります。まだ1回もメダルを取っていないので、東京ではメダルを取りたいという気持ちが強いです。ロンドンの時は出場することが目的で、リオデジャネイロの時はメダルを目標に出場したんですが届かず。東京は3度目の正直ということで、シングルス、ダブルスどちらでもいいのでメダルを取りたいです!

また、日頃から応援してくださっている方に自分の試合を見てもらいたいですし、是非有明に多くの方に観戦に来ていただいて、満員の観客の中で試合をしたいと思っています。会場に来られない人もパブリックビューイングで車いすテニスの面白さを感じてもらえたらと思っています。

~最後に東京2020大会に期待することを教えてください~

東京開催が決まってから、障害者スポーツを始める子供たちが増えてきています。大会開催をきっかけにもっと増えてくれることを願っています。それと同時に、健常者と障害者の壁がなくなり、彼らの未来の選択肢がより増えてほしいです。

テニスに限らず障害者スポーツを継続して行うには、資金が必要になってきます。そこに壁を作らずに、選手活動を行える環境を、企業や行政には整えていってほしいです。そういったサポートを一過性で終わらせるのではなく、継続していってもらえたらと思っています。

どんな環境でどんな障害を持っていても、パラアスリートを目指したいと思った全ての人にチャンスがあるような社会になって欲しいと思っています。

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