東京アスリート認定選手・インタビュー(29)渡邉瑠選手(練馬区・豊島区) スケート(スピード)(2018/04/06)

渡邉瑠選手の写真

【プロフィール】
わたなべ・りゅう 1996年7月21日生 立教大学在学
ユニバーシアード 5000mリレー 4位(2017)

韓国留学で得た自信を胸に、悲願のオリンピック出場を目指す!

~コーチとの出会いで競技転向を決意~

6歳の頃、父親の勧めでローラースケートを始めた渡邉瑠選手。ショートトラックスピードスケート(以下、ショートトラック)との出会いは小学4年生の頃。ローラースケートのトレーニングの一環として、取り入れたのがきっかけだ。ショートトラックは、ローラースケートとは出せるスピードが全く異なり、疾走感や風を切る気持ち良さを感じた。その爽快感と楽しさから、当初は、経験者でもあった父親に教えてもらう傍、独学で競技を学んでいたが、次第にローラースケートとショートトラックの競技を両立していくようになった。
 ローラースケートでは日本代表選手に選ばれるも、思うような結果を残せずにいた。同時に、コーチがいない状況でのショートトラックの練習に限界を感じ、何か突破口はないかと中学1年生の頃、本格的な指導を受けるため東京都内のショートトラックのクラブチームに所属。そこでのコーチとの出会いが競技生活を大きく変えるきっかけとなった。

渡邉瑠選手の写真1

経験豊富なコーチの指導の元、これまで自身では気が付けなかった弱点やその修正の仕方など、様々な角度からアドバイスを受け、ショートトラックの試合で結果を残せるまでに成長。ショートトラックが心から“面白い、楽しい”と感じるようになり、いつしか“ショートトラック1本で勝負がしたい”と気持ちが動いていった。
「幼いころから家族でオリンピック中継を見ていて、漠然といつか出場してみたいとい思っていました。ショートトラックでは、やればやる程結果を残せることが嬉しく、オリンピック競技であるということもあって、どんどんのめり込んでいきました。」明確となった“オリンピック出場”という夢に向かって、ショートトラックの選手としての道を歩み出した。

~戦い方を見直すきっかけになった初出場の世界選手権~

渡邉瑠選手の写真2

ショートトラックに専念してから、めきめきと頭角を現し、高校1年生の時にはポーランドで行われた世界ジュニア選手権に初出場した。しかし、親元を離れた現地での生活には戸惑うことばかりだった。
「いつもは家に帰ったらご飯が用意され、洗濯もできていて何不自由なく生活していたんだなと、この時初めて実感しました。試合で勝つためにポーランドまで来ているのに、環境の違いで左右される選手ではダメだ。と、選手としての自覚が芽生えた初めての試合でした。」
また、外国人選手とのスキルや体格差など、レベルの違いを痛感した。
「同い年の選手なのに、筋肉の付き方など体格が全然違っていて驚きを隠せませんでした。筋力もあるのでスケーティングも一歩一歩が大きく、トップスピードもとても速かった。悔しいという思いよりも、世界で戦って勝つにはもっと力をつけなければと思いました。」
帰国後、コーチに大会で感じたことをそのまま伝え、今までの練習を一新。世界で戦うための体づくりや、スキルアップに励んだ。

「世界ジュニア選手権に初めて出場し、色々なことを経験して、世界で戦うことは楽しいなと実感したんです。だから、レベルアップしてもう一度世界ジュニア選手権に出場し、結果を残したいという思いが強く残りました。」
リベンジで挑んだ翌年の同大会では、見事、日本新記録を更新し、世界で戦える実力をも見せつける活躍を果たした。

~学業との両立という新たな壁~

国内から世界へと戦う舞台を広げ、更なる高みを目指す日々。ナショナル強化指定選手にも選出され、学業との両立という新たな壁が立ちはだかった。今までに増して、強化合宿や国際試合が増えたのだ。出席できない授業が増え、テスト勉強もままならないといった状況の中、手を差し伸べてくれたのが普段から応援してくれている友人たちだった。

「授業に出席できなかった分のノートを友人が貸してくれたり、テスト前には一緒に勉強して教えてくれたりと、友人なしでは今の自分はないといっても過言ではありません。本当に感謝しています。」

また、常にバックアップをしてくれる家族の存在も大きい。ローラースケートを始めた頃から、父親が毎日欠かさず練習場まで送り迎えをしてくれ、練習から帰宅すると栄養面を考えて作られた母親の手料理が食卓に並ぶ。

そして、同じショートトラックのナショナル強化指定選手として、日々切磋琢磨している妹の碧さん。レース展開など、競技について話したり、お互いの試合を観戦、応援するなどして常に励まし合っている。
「周りに支えられているからこそ、今の環境を得ることができているんだなと思っています。家族や友人、それにコーチ。日々感謝しながら、結果を出すことを恩返しと思い、日々練習に励んでいます。」

~韓国留学でついた自信と新たな目標~

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韓国合宿にて 後列左端 渡邉選手

大学2年生の頃、平昌オリンピック出場を目指して、大学を休学し、韓国留学を決意。オリンピック出場選手や、世界ジュニア選手権で総合優勝をした選手など、世界的に見ても強豪な選手が多く在籍するチームにて武者修行を行った。日本とは異なり、世界レベルの選手が切磋琢磨する環境に身を投じた。
「常に上を目指している選手と一緒に練習することで、気持ちのモチベーションを高く持てるようになりました。今までは実力はあってもどこかで『次負けるのではないか…』というネガティブな思考に陥りやすく、それが試合の結果にも影響していたと思うんです。しかし、韓国留学をし、良い環境で毎日4度もの練習にも耐えてきことが裏付けとなって、『こんなにも練習してきたんだから、絶対に勝てる』と常に前向きに物事を考えることができるようになりました。」

韓国留学を経験し、一回りも二回りも成長し、自身のプレーに自信もついた。平昌オリンピック出場にはあと一歩というところで及ばなかったが、すでに新たな目標に向かって歩み始めている。
「正直、平昌オリンピックを逃した時はすごく悔しかったです。でも、韓国で同じ練習環境に身を投じていた選手3人が平昌オリンピックに出場し、活躍しているのを見て、今までの練習は無駄ではないと自信にもなりました。今回は出場できませんでしたが、共に練習してきた仲間と『次こそは一緒に行きたい!』という気持ちがより強くなりました。まずは、直近の試合で来シーズンの9月にある代表選考会(※1)で勝って日本代表に選ばれることを目標にしています。そして、目指すは4年後の北京オリンピックでのメダル獲得です!」
日本と韓国を行き来しながら、着実に力をつけてきている渡邉選手。鋭い眼差しから見て取れる静かな闘志と、日々のたゆまぬ努力が花を咲かせる日もそう遠くはない。

~競技の見どころと自身の強み~

渡邉選手の強みは、“パワーの持続力”だ。スタートからゴールまで先頭で走り続け、逃げ切ることが出来るのは、並大抵なことではない。なぜならば、ショートトラックは“氷上の競輪”と呼ばれるほど、エキサイティングかつ一瞬の駆け引きが勝負を大きく左右する競技だからだ。しかも、渡邉選手はこれに加えて、一発の瞬発力で大外から全員をまくれる力を持っているため、どんなレース展開でも、最後の最後まで巻き返しができる安定感を持ち合わせている。レースの駆け引きに応じて、瞬時に判断することが求められるこの競技で、勝つための引き出しを多く持っていると本人も自負する。

「ショートトラックの抜かず抜かれずのレース展開は見ていて分かりやすく面白いです。しかし、先頭や2番手の選手は抜かれないためのコース取り(ブロック)をしながら滑走しているので、今はブロックして抜かされないように滑走しているんだなと、戦略を見るのもショートトラックスピードスケートの醍醐味の1つなので、注目して見て欲しいです。」

~渡邉選手休日の過ごし方~

昨年から、韓国へのスケート留学を行っている渡邉選手。1日4度にも及ぶハードな練習を日々こなしているため、休日は韓国式サウナ“チムジルバン”に通い体の疲れを癒している。
「休日は頻繁に、疲労回復のためにチムジルバンに足を運んでいます。温泉と一体化になった施設なので、長いと4時間くらいサウナと温泉に入り、リフレッシュしています。」

~試合前のルーティンワークと勝負飯~

試合前に必ず行うルーティンワークをあえて決めていないという渡邉選手。どんな場面であってもその場の環境に順応出来るよう、ルーティンに囚われない環境づくりを心がけている。

「常にその時の自分の気持ちを最優先させ、最善の方法をとるようにしています。それと試合前はウォーミングアップルームで不得意なスケーティングの動作を6種類ほど入念に確認し、不安を解消させて試合に臨んでいます。」
また、韓国留学中は毎日自炊をしているという渡邉選手の勝負飯は“カレーライス”だ。毎日遅くまで練習を行い、帰ったら寝るという生活を送っているため、作り置きができ、がっつりと食べることのできるカレーライスは強い味方だ。
「身体や栄養面も考え、外食ではなく自炊をするように心がけています。留学して初めて料理を作っているので、手軽でパワーになるお肉やカレーなどの一皿料理を作る日が増えましたね。」
また、得意料理は“豚肉のあんかけ”と、料理の腕も成長しているようだ。

渡邉瑠選手の写真4

韓国留学を終え、4月から大学に復学する渡邉選手だが、現在も定期的に韓国に通い練習を行っている。また、大学3年生を迎えるにあたり、就職についても考えている。
「現在まで、家族の献身的なサポートもあり競技に専念することができていましたが、卒業後は、一アスリートとして、一人の人として、自立した生活を送れるようにと考えています。もちろん競技は続けていきたいので、アスナビ(※2)を利用して就職活動を行いたいと思っています。」

記憶に新しい平昌五輪では、世界を大いに沸かせた日本選手たち。4年後の北京五輪に向かって、冬季競技を更に盛り上げていくとともに、日本のレベルを引き上げていく存在になるであろう渡邉選手に期待している。

※1 第29回全日本ショートトラックスピードスケート距離別選手権大会
(例年6月頃に開催地、日程等詳細確定)

※2 アスナビ…(公財)日本オリンピック委員会が実施する無料職業紹介事業
https://www.joc.or.jp/about/athnavi/

公益財団法人日本スケート連盟公式サイト
http://skatingjapan.or.jp/short/rule.html