【プロフィール】
いわぶち こうよう 1994年12月14日生 協和発酵キリン株式会社所属
2016年 リオパラリンピック出場
2017年 世界選手権(団体戦) 準優勝
生まれつき足首から足先の部分が内側に曲がってしまう先天性内反足障害を持つ岩渕幸洋選手。卓球との出会いは中学1年生の時。何かラケット競技を始めたいと思い入部したのが卓球部だった。元々障害者であることを特別に意識しておらず、部活動の仲間と同じように練習に励み試合に出場していた。中学3年生の時、もっと専門的な知識のある人から卓球を学びたいと思い、通い始めたクラブチームのコーチに、パラ卓球の存在を教えてもらうとともに、自分にもパラ卓球の試合に出る資格があることを知ったのが、パラ卓球を始めるきっかけだった。 初めてパラ卓球の選手と練習をした時、プレースタイルも球質も今まで経験してきた健常者の卓球とは異なり全く歯が立たなかった。各選手が、自身の障害という弱点を長所に変える工夫をしながら卓球をしているのだと肌で感じた。パラ卓球を始めたものの、パラ卓球独特の球質やタイミング、障害をカバーする戦術、駆け引きに慣れるのに苦労した。しかし、目の前の相手に勝てない悔しさをバネにして、次は絶対に勝ってやるという気持ちを強く持ち練習に励んだ。
パラ卓球の練習に励んでいた岩渕選手に転機が訪れたのは、本格的に国際大会に出場するようになった、大学2年生の時だった。将来の有望選手に与えられる招待出場枠「ワイルドカード」の選手として初めて世界選手権に出場した。他の国際大会とは異なり、世界中のトップ18の選手が一堂に集まる世界選手権。当時世界ランキング25位の岩渕選手にとっては格上の選手ばかりだったが、結果は12位と、大健闘を見せた。
世界選手権で、これまで出場した試合とは異なる会場の張り詰めた雰囲気や選手の熱気を間近で感じ、「世界選手権のようなレベルの高い試合にもっと出場したい」という気持ちが強くなった。それまでは一度もパラリンピックを意識した事はなかったが、次の大きな大会がリオパラリンピックだと知り、出場を目指す事を決意。パラ卓球での、リオパラリンピック出場枠は15名。当時岩渕選手の世界ランキングは21位「このままでは出場が危うい」そう感じ目の前の試合に集中し1戦1戦勝ちにこだわり、パラリンピック出場に向け日々練習に打ち込んだ。そして晴れてリオパラリンピックの出場を手にした。
リオパラリンピックの会場に一歩踏み入れると、今までに目にした事のない観客の数と想像以上の熱気。「パラリンピックでは緊張するだろう」そう思ってはいたが、想像を遥かに超えた緊張感に襲われ、一気に会場の雰囲気にのまれた。初戦はストレート負け。一瞬の出来事だった。
「自分は今何がしたいのか、どうするべきなのか分からなくなるくらい緊張して、頭が真っ白になりました。ただがむしゃらに戦うしかなかったんです。気づいたら試合が終わりストレート負けしていました。」
翌日の2戦目も、緊張で思うように体が動かず、またもストレート負け。岩渕選手にとって初めてのパラリンピックが終わった。
「あっという間に試合が終わってしまい、ただただ呆然と立ち尽くしていました。応援に来てくれていた両親の元に行くと、父親から「お前は何しにここまで来たんだ!」と大声で怒られた瞬間に我に帰り、一気に悔しさがこみ上げてきました。次こそは!と気持ちを切り替えることが出来たのも、両親のおかげですね。」
リオパラリンピックでの悔しさをバネに練習に励む日々。日本で開催される東京パラリンピックでは、毎回試合には必ず足を運んでくれる両親や、サポートしてくれている方のために、「金メダルを取る!」と決意。しかし、リオパラリンピック後、対戦相手が岩渕選手への対策を練って試合に臨んでくるようになり、思うような結果が残せず苦戦していた。
「東京パラリンピックに出場するには、格上の相手を含めて勝てるようにならなければならないと考えています。今年は1つでも多くの技術を取得し、戦い方のバリエーションを増やしていきたいです。」
また、金メダルを取ると決意したのには、もう一つ理由がある。それは障害者スポーツの普及だ。国内の試合が少ないパラ卓球。試合の様子がテレビに流れる事もなく、目にする機会が極端に少ない。そこで、SNSで自身の試合をライブ配信し、少しでも多くの方に興味を持ってもらえるよう活動している。
「リオパラリンピックに出場した時に、満員の観客席と大きな声援、選手が退場する時は、必ずスタンディングオベーションで送り出してくれたりと、パラリンピックならではの会場の雰囲気を感じる事ができました。この会場の雰囲気をもっとたくさんの障害を持った人に経験してほしい。そう思ったんです。障害者スポーツはまだまだ認知度が低く、パラリンピック自体知らない人も多いです。目にする機会が少ないなら、自分で作ればいい。そう思って試合のライブ配信を始めました。そして、自分が金メダルを取れば、より多くの方にパラスポーツを知ってもらえるきっかけになると思うので、東京パラリンピックは金メダルを取りにいきます。ただし、金メダルは目標ではありますが、ゴールではありません。将来的には障害者スポーツを引っ張るような存在になりたいです。」
岩渕選手の東京パラリンピックでの活躍に期待したい。
パラ卓球は、様々な障害を持つ選手が同じクラスで戦うスポーツだ。目に見える障害を持つもの同士の戦いは、相手の弱点をつくプレーや互いの駆け引きが観戦している人にも分かりやすい。
「卓球は複雑なスポーツなので、どうしてもボールの速さに目が行きがちになってしまいます。ですが、パラ卓球は障害に応じて戦い方も様々。自身の障害という弱点をどのような強みに変えているのかを意識して見ていると、戦い方の違いや戦略が分かってくるので、次の展開を想像しながら試合を観戦して見て下さい。」
幼い頃から、休日はご両親に連れられてスポーツを楽しんでいたという岩渕選手。特にスキーが好きで、今も競技活動の合間を縫ってスキーを楽しんでいる。
「今年は忙しく、中々スキーへ行く時間を作ることが出来ませんでしたが、毎シーズン2回はスキーに行っています。元々体を動かすことが好きなので、1年を通して卓球以外のスポーツも楽しんでいます。
スポーツで体を動かす事がリフレッシュに繋がっているようだ。
海外での試合が多い岩渕選手の勝負飯は、ズバリ“ご飯”だ。海外へ行く時には、必ずマジックライスという長期間保存可能な保存食を持参。何処へ行っても、朝食には必ずご飯を食べることがお決まりのようだ。また、無類の羊羹好きだと豪語する程、和菓子が好きな岩渕選手。取材時や周りの方に羊羹好きをアピールしていたら、差し入れのほとんどが羊羹になったという面白エピソードも!
「羊羹好きが高じて、大学生の頃は菓子メーカーがスポンサーになって下さった事もありました。お陰で、今も昔も羊羹には困らない生活を送っています(笑)。」
どの国へ行っても変わらぬ味ご飯と、大好物の羊羹は、岩渕選手のパワーの源となっているようだ。