~オリンピック・パラリンピックを目指すアスリートを応援~
東京アスリート認定選手・インタビュー(14)富田宇宙選手(江東区・千代田区) 視覚障害者水泳 (2017/3/30)

東京都では、東京のアスリートが、オリンピック・パラリンピックをはじめとした国際舞台で活躍できるよう、競技力向上に向けた支援を実施するとともに、社会全体でオリンピック・パラリンピックの気運を盛り上げるため、「東京アスリート認定制度」を創設しました。

このページでは、認定選手の皆さんに「スポーツを通して自分を成長させ、スポーツと社会のよりよい関係を考えていこう」というテーマで、インタビューをしていきます。

富田宇宙選手の写真

第14回 富田宇宙選手(江東区・千代田区)視覚障害者水泳

【プロフィール】
とみた・うちゅう 1989年2月28日生まれ 熊本県出身 日本大学卒
日本体育大学大学院 / EYアドバイザリー・アンド・コンサルティング(株)
CanAmOpen 100mバタフライ、1500m自由形優勝(2015)

東京2020パラリンピックが人生にチャンスをくれた
冒険心や挑戦する姿勢を忘れず、夢をめざす

悩んでいる子どもの力になりたい。障害者への理解を深める活動も積極的に

「東京2020パラリンピックは、僕に本当に大きなチャンスをくれたと思います。東京2020パラリンピックの開催が決まっていなかったら、これだけいろいろな人と出会う機会はなかったし、成長する機会もなかった。選手として、この大きな舞台に挑めることに感謝して、今の自分にできることを、精一杯やっていきたい」。視覚障害者水泳の富田宇宙選手は、自身の競技力を高める練習だけでなく、パラスポーツへの多くの人の理解を広めようと、シンポジウムや講演会などに積極的に参加している。

その中でも最も大切にしているのが、子どもたちへの特別授業だ。「子どもは、いろんなことに悩んだり、傷ついたり、落ち込んだりしますが、今の自分が、そんな子どもたちの力になれることはないかと、僭越ながら考えるようになりました。僕の経験を子どもたちの前で話したら、とても真剣に聞いてくれて、そのあとで、うれしい感想もたくさん聞かせてもらいました。僕自身が、たくさんの元気をもらえました」。

競技中の写真

視覚が低下してきた時のことや、できないことが増えていったときの気持ちとか。そこから、どんなふうに生きていこうと考えたか。今、目標に向かって努力していること。本音で経験や思いを伝えることで、子どもたちに何かを気づいてもらえたらと。
一方でパラアスリートを取り巻く環境の改善を訴えるのも、自身の仕事と考えている。
 「今、パラアスリートへの注目が高まり、東京2020パラリンピックをめざす選手に、さまざまな方々が強化をしてくださっています。ありがたいと思いつつも、それでも、まだパラアスリートが、実際どんなことに困っているのか、どんな機会を欲しがっているのかなど、十分に伝えきれていないのではないかという、もどかしさも感じています。これから東京2020パラリンピックまでの期間は、パラアスリートを取り巻く環境の改善を広く理解してもらう、大事な時期だと思うので、自分が選手として感じたことなど、しっかり伝えていこうと思っています。もっとも、選手は自分の競技で結果を出すことが第一なので、あれこれ手を広げすぎて、目指しているものからブレないようにやっていきたい」。

エンジニアから障害者水泳の道へ 転職を決意しセミプロアスリートに

宇宙のように広い心を持ち、世界に飛び出すような人になって欲しい―そんな願いを込めて、親が名付けてくれた「宇宙」という名前。「自分の冒険心や挑戦したいという気持ちを大切にしていく仕事に就きたくて、昔は名前の通り、宇宙飛行士になりたいと思っていました」。
 そんな富田選手が、水泳を始めたのは3歳の時。以来、小中高と続けてきたが、高校2年生の時に徐々に視野が失われていく病を発症。高校卒業時には健常者としての水泳を継続することを断念せざるを得なくなった。それでも、健常者としてスポーツがしたかったので、「これなら視力に関係なく取り組める」と判断した競技ダンス部に入部し、全日本学生競技ダンス選手権大会にも出場。しかし大学卒業後もアマチュア選手として活動を続けたが、更に視野が失われ、競技ダンスを第一線で継続することが困難となったため、そこで初めてパラスポーツに興味をもち、一度は断念した水泳を再開したという。

競技中の写真

「視力の低下で、宇宙飛行士になることはできなくなってしまいましたが、大学は理系に進み、卒業してからは、システムエンジニアとして働くことにしました。それで一生食べていくつもりで、水泳はあくまで趣味の一環として泳いでいるという感じだったのですが」。
タイムが出るようになり、400mの自由形を主として泳ぐようになった。以前は200m自由形を得意にしていたが、富田選手の障害クラスの自由形はパラリンピック種目としては50m、100m、400mしかなく、体格では短距離種目での世界の壁が高すぎることもあり、中距離を狙うことに。国内ではトップクラスまでタイムを伸ばし、2015年には400m自由形、1500m自由形でアジア記録を更新。パラリンピック出場も見えてきた。

障害者は常に誰かの手が必要。浮き彫りになってきた新たな課題

今は文字を目で読むことはできないが、本を読むことは今も大切な趣味のひとつだという。朗読されたデータを聴いて本を読んでいる。中でも好きな小説は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。「人と人とをつないで大きな物事を成し、自分は表には立たない。そんな坂本龍馬のような人間を目指しています。でもアスリートは、表に立たなきゃ駄目ですよね。なので、今は高杉晋作ぐらいの気概をもって頑張らなくてはなりません。坂本龍馬を目指すのは、結果を出してからにします。なんて、かなり大きいことを言ってしまいましたが」。
 目下の目標は、フィジカルの強化。「今年は高地トレーニングも予定しており、ウエイトトレーニングで鍛えた体を低酸素環境での水中練習に順応させ、水泳で使える体にするプロセスを繰り返します。トレーニングの結果はすぐには出ないかもしれませんが、体を大きくして、それを試合のタイムにつなげられるように、地道に取り組んでいきたいと思っています」。

競技中の写真

今、困っているのが練習場の安定的な確保。自ら50m長水路のある施設を、随時予約しているが、なかなか予約がとれず、練習場所が見つからないということで、気持ちを削がれることもあるという。食事も、一人暮らしの富田選手には、悩みどころだ。練習の合間に、買い物に行って、栄養のバランスも考えて調理して、食べてというのが、一人でやりこなせない。「強くなるためには、一人でやれることは限界があります。周囲のサポートもお願いしながら、集中して練習やコンディショニングに取り組めたら、もっとパフォーマンスも上がっていくと思います」。

環境を整え、選手として結果を出し、たくさんの方に注目、応援していただくことで、自分が伝えられるメッセージを伝えていきたい。意欲が高いほどに、やらなくてはいけないこと、やりたいことが増え、富田選手の毎日はスケジュールがぎっしりと埋まっている。 めざしていたところは「宇宙」から「パラリンピック」へと変わったが、冒険心や挑戦の姿勢は昔から変わっていない。大きなことをやりたい。夢に向かって粘り強く泳ぎ続ける。

タッピング

視覚障害者水泳は視力の度合いによって3つのクラスに分かれている。視覚障害者選手はプールの壁の位置を視覚で確認することはできず、壁にぶつかってケガをしてしまう恐れがあるため、タッパーと呼ばれる人にタッピングをしてもらう。タッピングとは、ゴールやターンの直前にタッピングバーで選手の身体をタッチすることで、壁が近づいているのを選手に伝えることをいう。バー(棒)は、まだ明確な基準がなく、釣り竿などを利用して作られている。このタッピングの技術も、視覚障害者水泳では重要な要素をしめてくるという。

【スポーツを通して身に着けられるライフスキル】

パラアスリートの道を選んだことで、それまで予期していなかったさまざまな機会が訪れた時、それを負担というより、自らを成長させてくれるチャンスだと理解して、積極的に取り組むことで、自身の引き出しを増やしています。人前で自分のことを話すこと、自分で交渉したり、工夫して競技力を高めていくこと。好奇心旺盛で、面倒見もいいこともあり、常に多忙を極めていますが、やりたいことがたくさんあるということが、イキイキとした毎日を送る原動力に。現役選手として感じたことを、その後に生かす力を、今は磨くのだという意識があれば、身につくスキルもさらに増えていきます。