東京アスリート認定選手・インタビュー(26)木村潤平選手(渋谷区、板橋区) トライアスロン(2018/03/15)

木村潤平選手の写真

【プロフィール】
きむら じゅんぺい 1985年2月14日生 社会福祉法人ひまわり福祉会
2016年 リオパラリンピック 10位
2017年 ITU世界パラトライアスロン選手権(オランダ) 8位

東京パラリンピックで勝ちに行く

~競泳からパラトライアスロンへの転身~

先天性の下肢不全により、5歳の頃から松葉杖を使用していた木村選手。小学1年から競泳を始め、アテネ2004大会から3大会連続でパラリンピックに出場し、2014年インチョンアジアパラ競技大会では、男子100メートル平泳ぎ(クラス:SB6)で金メダルを獲得する実績を残した。順風満帆に思えた競技生活だったが、世界の壁は厚くロンドンパラリンピックで思うような結果が残せず苦悩していた。「何か新しいスパイスを加えないと今の結果から成長することはない。」と思い、最初は競泳とは全く異なる競技への転向を考えていた。しかし、せっかくなら競泳を活かせる競技が良いと思い、競泳と並行してパラトライアスロンへの挑戦を始めた。当初は、競泳とどのように両立していくかに迷いはあった。それでも、2016年のリオパラリンピックで初めて正式種目として開催されるパラトライアスロンにも出場したいとの思いを強く抱き、決意を固めた。

木村潤平選手の写真1
 「もし自分がリオパラリンピックでメダルを取れば、パラトライアロン初のメダリストになる。それって凄く格好いい。そう思ったんです。僕自身、新しいことに挑戦するのが好きなタイプだったので、パラトライアスロンでもパラリンピックを目指そうと練習を始めました。」
 こうして、本格的にパラトライアスロンと競泳の二足のわらじでリオパラリンピックを目指す日々が始まった。

~セルフマネジメントの限界と両立の厳しさを実感~

当初は、競泳で培った技術や知識をパラトライアスロンに活かせば、ある程度結果は残せると思っていた。それと同時に、セルフマネジメントでの挑戦をしてみたかったため、パラトライアスロンは一人もコーチを付けずに練習に取り組んだ。しかし、セルフマネジメントをしつつ競技の両立をすることは並大抵のことではなかった。
 「競泳と似ていると思い、いざやってみると、プールで1人1コースを泳ぐ競泳と、海で選手同士が重なり合うように泳ぐパラトライアスロンでは戦い方が全く違って。毎日、何がなんだか分からないくらいに忙しかったです。でも、いろんな方にアドバイスを聞きながら、水泳に専念していた頃の倍以上練習に励んでいたので、ネガティブにならずプラスになっていると信じ続けられました。」 しかし、3度の出場経験があった競泳では、まさかのリオパラリンピック出場を逃した。

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「その時は本当に悔しくて。“今まで連続で出場してきたパラリンピックに絶対に出場する”“リオパラリンピックに出なくてはいけないんだ”と思っていたので、気持ちを切り替えて絶対にパラトライアスロンで出る!と必死で練習に打ち込みました。」
 そして、晴れてパラトライアスロンの選手としてリオパラリンピック出場の切符を手にし、これを機にパラトライアスロンに専念することを決意。パラトライアスロン選手として、第2の競技人生がスタートした。

~東京パラリンピックは”勝ち”にこだわる~

リオパラリンピックでは、惜しくも10位とメダルには届かなかった。これまでに何度もパラリンピックに出場し、世界を舞台に闘ってきたが、なかなか思うような結果を残せなかったのには理由があったと気付く。

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「僕自身、誰よりもパラリンピックに“出る”という気持ちは強いと思うんです。でも僕が弱いのはその先、“勝つ”という気持ちなんです。過去のインタビューを見返してみると“世界ではまだまだです”“勝ちたいとは思います”など、自信のないコメントばかりで一度も“勝つ”とは言ってなかったんです。世界に対しての自分はネガティブな部分がある。こんなモチベーションでは勝てないなと思ったんです。なので、東京パラリンピックは“勝ち”にこだわっていきたいんです。“勝ちたい”ではなく、“勝つ”なんです。東京パラリンピック出場を目指す上で、まずは、今年の9月12日から16日までオーストラリアで開催されるITU世界パラトライアスロン選手権でタイムを意識し、必ず結果を残します!」
 木村選手の“勝つ”ことへのこだわり。東京パラリンピックでの木村選手の活躍が今から楽しみだ。

~障害者スポーツ普及に向けて~

2017年度は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に通い、平田竹男教授からスポーツについて一から学び直した木村選手。
 大学院では障害者スポーツの普及·育成をテーマにした修士論文を作成した。自分が選手として競技に携わっていて実感することは、パラリンピックに対する関心の低さだ。各地で講演会を行ったりしてきたが、パラリンピックは知っていても、実際に現地で競技を見たことがある人はほとんどいない。しかし、東京パラリンピック開催が決定したことにより、徐々に関心も高くなってきている。
 「東京でパラリンピックが開催される今だからこそ、もっとたくさんの方にパラリンピックや障害者スポーツについて知ってもらいたいと思っているんです。日本では障害者の方でスポーツを競技としてやっている人って実はすごく少なくて。東京パラリンピックがゴールではなく、東京パラリンピック以降にどれだけ障害者スポーツの普及が広がるかがとても重要だと考えています。東京パラリンピックが始まる前に、大学院での出会いや勉強を活かして、障害者スポーツの普及につながるアクションを起こしたいと考えています。」
 また、周りの環境も少しずつ変化してきている。

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「元々パラリンピックの認知度は低く、理解を得られない事もありました。しかし、東京アスリート認定選手に選ばれたこともあり、理解してくださる方や応援してくださる方が増えたなと実感しています。大学院で学んだ事を活かしつつ、一選手として自分が活躍する事で、パラリンピックや障害者スポーツをより多くの方に知ってもらい支援の輪が広がればと思っています。」

~木村選手の休日の過ごし方~

トライアスロンは鉄人レースとも言われるほどハードな競技。そんな競技の練習を日々こなす木村選手は、休みの日になるとあえて何もしない日を設けているそうだ。
 「普段身体や頭を使っているので、たまに何も考えない日を作って全てを休ませています。テレビや音楽を何も聞かず無音のまま過ごしています。」
 過酷な競技であるが故に、競技から離れて、何もせず自分と向き合う日も時には必要である。心身ともにリセットすることでメリハリをつけ、また翌日からのハードな練習に挑んでいるようだ。

~木村選手の試合前のルーティンワークと勝負飯~

試合の3~4日前に、1日全部をオフにして、温泉にリフレッシュに行くという木村選手。何も考えずボーッとし、嫌なことなども全部温泉で流してスッキリさせる。リフレッシュ後の身体は飛べそうなほど軽く、全てが整った証拠なのだとか。また、試合前には必ず白米を食べている。
 「大会は非日常的なことで、気持ちが高ぶり、力んでいることが多いんです。なので、緊張をほぐすために普段食べているものを口にすると、日常的な感覚が戻り安心できるんです。白米はどこに行っても変わらない味なので、海外に行く時も必ず持参しています。」
 白米は、長時間の過酷なレースを戦い抜くためのエネルギーとして、また、精神的な支えとしても木村選手の力になっているようだ。