いつもどおりの柔道をやり切る、その気持ちで挑む

柔道100㎏級で2連覇の期待がかかるウルフアロン選手。メディアで見かけることも多いウルフアロン選手だが、思うようなコンディションを維持できず、グランドスラムなどの国際大会で勝てないという苦しい時期を経て、オリンピックの切符をつかんだ。
現在の心境や出身地である葛飾区について聞いた。
(プロフィール)
うるふ・あろん 1996年2月25日生まれ。東京都葛飾区出身。パーク24株式会社所属。祖父の勧めで6歳の時に柔道を始める。東海大学進学後は、パワーを生かした豪快な柔道で、全日本学生柔道大会で7連覇に貢献、世界選手権制覇など数々の成績をおさめる。東京2020オリンピックでは100㎏級で金メダルを獲得。

2連覇することがモチベーションではない

2度目のオリンピック出場です。前回と比べてオリンピックに挑む気持ちは違いますか。

試合当日になったら、もちろん緊張はするはずですが、前回のオリンピックの時と比べて、切羽詰まった感じや、プレッシャーはあまりないです。
最初はオリンピックという大会がどういうものか、わかっていなかったので、当日の試合を予想するしかできなかったけれど、今回はすでに経験している場に挑むので、ある程度余裕を感じながらできると思います。

2連覇達成が大きな目標でしょうか。

2連覇達成には、あまり重きは置いていません。柔道は生活の一部であって逆にやらない理由がないし、自分の中でパリ2024大会まではやり切るということが決まっているので、やり切るだけです。
むしろ毎日の練習をするのと同じように試合をすること。いかに練習と試合を近づけられるのかというのを考えながらやってきました。おそらく今、一番練習と試合が近づいている状態にまでもっていけているので、試合当日は準備してきたことをやるだけ。練習と同じように試合に臨みたいし、それが理想です。
この3年間、苦しい時期がありました。特に2023年、グランドスラム・ウランバートル、アジア大会、マスターズでも負け続けて、なんで柔道をやっているのかがわからなくなりました。しかし悔しいという気持ちや、柔道という競技が好きだからやっているんだと自分の気持ちがわかったことで、パフォーマンスを上げることができたし、まだ自分にもパリに行くチャンスはあると思えたことが、モチベーションになったと思います。あとはいつもどおり試合を迎えるだけです。

柔道という競技の入り口になりたい

ウルフアロン選手は、柔道の普及活動にも力を入れられていますね。

グランドスラムなど海外の大会では多くの観客が入っています。それだけの熱があっていい競技だし、国内の大会では現状として観客が少ないのは、柔道の熱を知ってもらえていないだけだと僕は思います。競技は応援してくれる人がいて成り立つものなので、競技を知ってもらうために活動することが、かなり重要だと思っています。
柔道の試合は、1日で終わります。その時に見てもらえないと知ってもらう機会も少ないので、柔道という競技の入り口をつくるためにもっと活動したいです。

Youtubeでの発信もその一環ですか。

そうです。野球とかサッカーを見に来るファンの人たちは、競技はもちろん、この選手が好きだから、このチームが好きだからという理由で観戦している人も多いです。けれど柔道は競技としては知られていても、選手は知ってもらえてないと感じますよね。
僕自身の知名度が上がったという実感はあるけれど、そこから柔道を見よう、柔道をやってみようというところまで確実につなげられたかはわからない。まだまだ続けていかないといけないと思いますし、結果が出ない時期にも動画配信は続けてきました。特に負けが続いていた時は、モチベーションの一つにもなったので、続けてきて良かったと思います。

運動しやすい街・葛飾で走って鍛えた

地元である葛飾区でのエピソードをお聞かせください。

僕は基本的に新小岩駅南口あたりに生息していたのですが、しばらく忙しくて新小岩に帰れていなかった。そうしたら新小岩駅もきれいになっていて、あんなに雑然としていたのにと驚きました。
中学、高校の時には朝起きて、新小岩公園や、荒川や江戸川の土手をとにかく走った記憶が多いですね。運動しやすい街だと思っています。ウルフタイム(延長戦に強い)のスタミナの源は、やはり葛飾区を走ったことで鍛えられたと思っています。
前回の東京オリンピックの際にも葛飾区には表敬訪問させてもらいましたし、葛飾区の皆さんには常日頃から応援してもらっているので、今回もオリンピックが終わった後に金メダルを持ってご挨拶にいけるように頑張ります。