インタビュー
中島教授:本当に音がないんです。そこでプレーをする。すごいことを彼らはやっていると思ってほしいですね。
日本で初めて開催される東京2025デフリンピック。出場する選手や支える方に、大会に向けた思いをお聞きします。
中島幸則教授 聴覚障害者スポーツの研究者であり、大学教授として聴覚障害のある学生を前に教壇に立ちながら、アスレティックトレーナーとして選手を支える教授のデフスポーツへの思いとは。
これまで活動を続けてこられた理由、転機になった出来事があれば教えてください。
中島教授:2005年のデブリンピックの時の日本チームのメディカル体制を見た時に、これはもうちょっと聞こえる人たちと同じ世界にしなきゃいけないと思って、今の自分を作ってくれた大きなきっかけかなと思います。
2005年のデフリンピックにトレーナーとして初参加。聴覚障害に関する研究をしながら、2017年にはメディカル体制を強化するため全日本ろうあ連盟スポーツ委員会に医科学委員会を設立。デフスポーツを支える環境は大きく発展してきた。
授業に感銘を受けた教え子たちと立ち上げたハンドボールサークルは、日本代表チームにまで成長。
学内射撃サークルからも代表選手が出るなど、長年の取り組みが実を結ぼうとしています。
デフリンピックの魅力について教えてください。
中島教授:デフリンピックっていうのは、補聴器、人工内耳を外して参加しないといけない大会なんですよね。多分想像できないと思うんですけど、本当に音がないんです。そこでプレーをする。すごいことを彼らはやっていると思ってほしいですね。
デフリンピックが東京都で開催されることをどのように感じますか?
中島教授:2020の東京オリパラ。それが終わった後、このデフリンピックが東京で開催されるっていうことは、すごく大きな意味があるなって。嬉しく思いました。
聞こえない人のスポーツ。そこに我々聞こえる人間が入っていくときに大切にしなきゃいけないことは、やっぱり目と目を合わせて話をする。手話ができないと話ができないではなくて、まず目と目を合わして話をするっていうところ。顔の表情、口をしっかり開けるとか、コミュニケーションの方法を今回の大会で学んでもらい、これから聴覚障害者が住みやすい街になってほしいなって思ってます。
大会に向けてメッセージをお願いします。
中島教授:はい。東京で開催されるこのデフリンピック、ぜひ皆さん一緒に盛り上げていきましょう。