~オリンピック・パラリンピックを目指すアスリートを応援~
東京アスリート認定選手・インタビュー
(3)紙屋十磨選手(調布市・中野区) ウエイトリフティング (2016/9/26)

東京都では、東京のアスリートが、オリンピック・パラリンピックをはじめとした国際舞台で活躍できるよう、競技力向上に向けた支援を実施するとともに、社会全体でオリンピック・パラリンピックの気運を盛り上げるため、「東京アスリート認定制度」を創設しました。

このページでは、認定選手の皆さんに「スポーツを通して自分を成長させ、スポーツと社会のよりよい関係を考えていこう」というテーマで、インタビューをしていきます。

紙屋十磨選手の写真

第3回 紙屋十磨選手(調布市・中野区) ウエイトリフティング

【プロフィール】
かみや・とおま 1999年3月28日生まれ。宝仙学園理数インター中学校卒業。
現在は、東亜学園高等学校3年生。
主な戦績に全国高校選抜優勝(2016)ほか。

努力したら努力した分、結果が出る競技で、
昨日の自分を超えていきたい

相撲が強くなりたくて、ウエイトリフティング教室へ

わんぱく相撲が盛んな調布市で生まれ育ったこともあり、小学校1年生から土俵に上がっていた。小学校3年生のときには、勧誘を受け近所の「三鷹相撲クラブ」に入り、稽古に励んだ。やがて調布市の大会で優勝し、都大会にも出場。小兵ながら、巧い相撲をとることで一目置かれる存在になった。とはいえ、階級のない相撲では大柄な選手が有利であることは間違いない。「小さくても、負けたくない」。その一心で5年生の時に、自ら始めたのがウエイトリフティングだった。「足腰を鍛えれば、もっと強い相撲がとれるのでは」と母親が薦めてくれた、調布市のウエイトリフティング教室を体験してみたところ、思いのほか楽しかったので即入部。結局、相撲のために始めたウエイトリフティングを、相撲を辞めたあとも続け、今に至っている。

練習中の写真

「相撲をやっていたころは、土俵が屋外にあったので、冬はいつも冷たい地面の上で稽古をしていて、足はしもやけだらけでした。稽古が厳しくて、投げられては砂まみれ、すり傷やケガも絶えませんでしたけど、根性だけは身につきました。自分より大きな相手にも、ひるまずにぶつかっていく勇気とか、小さい分スピードを磨いたりして、勝つためにどうしたらいいかよく考えたりとか。相撲からは、本当にいろんなことを学べたと思います」。
 ウエイトリフティングの教室に通い、スクワットなど下半身のトレーニングをしっかりと積んだことは相撲に生きた。短距離走が速くなるという、メリットもあったという。
 「スクワットはきついので、嫌いな人も少なくなかったのですが、僕は相撲で鍛えた根性があったので人よりも継続して、地道に取り組めていたと思います。やったらやった分だけ、目に見える結果につながるところが、ウエイトリフティングの魅力だと感じていました」。

中学記録を更新したものの、その後は高校2年まで苦戦

小学校卒業後は、中高一貫の私立中学に進んだ。中学にはウエイトリフティング部はなかったので、サッカー部に入り、平日はグラウンドでボールを追い、トレーニングを重ねた。それでも上を目指していたのは、ウエイトリフティング。週末には調布市の教室に通って力をつけ、自己ベストを着々と更新し続けた。東京都が実施する「トップアスリート発掘・育成事業」(中学校1、2年生を対象とした、東京育ちの才能あるジュニア選手の発掘・育成を行う事業:/tokyojrathlete.html)の4期生に選ばれ、オリンピックで活躍する選手やトップジュニアコーチの指導を受けたことも刺激になった。

練習中の写真

中学3年の3月には、JOCジュニアオリンピックカップ・全日本ジュニアウエイトリフティング選手権大会の56kg級のスナッチで73kgを挙げ、中学生記録を更新。さらに強くなるために、一貫校の中学から、外部の高校を受験することを決意し、ウエイトリフティング部の強い東亜学園高校に進んだ。この競技は高校から始める選手が多いなか、中学時代にすでに実績を残していた紙屋選手だったが、競技の難しさ、奥深さを改めて思い知らされたのは、高校進学後だったという。
 「力に頼って、上半身だけでバーベルを挙げてはいけないと分かっていても、いつのまにかついてしまったクセが、なかなか抜けなくて。高校から始めた友達が、どんどんうまくなって、結果を出していくのを見ると、自分は経験者なのにとか、中学記録も出したのにと、余計に焦ってしまいました。高校2年の途中までは、そんな感じで、練習すればするほど悩んでいたのですが、基本から見直して、コーチに徹底的に教えてもらって、やっと手ごたえを感じられるようになりました」。
 その成果は高校2年生の3月に現れた。全国選抜大会53kg級で優勝することができたのだ。高校3年生のインターハイでは惜しくも最後に1㎏の逆転を許して全国2位だったが、今年11月に東京都大田区総合体育館にて開催される、アジアユース・ジュニア選手権大会に、日本代表として出場することとなった。世界で戦うために、しっかりとステップアップして挑んでいきたいと意気込んでいる。

東京都のアスリート向け事業を、積極的に活用

リオデジャネイロオリンピックでのウエイトリフティング競技は、三宅宏実選手が銅メダルを獲得し、ロンドンオリンピックの銀メダルに続く実績をあげた。男子では62㎏級の糸数陽一選手が、日本新記録で4位入賞を果たした。日本の男子の軽量級には強い選手が多く、今後、紙屋選手が国際舞台で活躍するには国内での熾烈な戦いを勝ち抜いていかなくてはならない。それでも挑み続けたいと思うのは、この競技が他の競技以上に「努力のスポーツ」と呼ばれる所以だろうか。努力すればしただけ返ってくる喜びは、何ものにも代えがたい。フィジカルも技術もメンタルも、まだまだ強くなれるところはたくさんある。

中学時代から東京都が実施しているアスリート向けサポート事業を積極的に活用してきた。「栄養講習は何度か受けて、食事に関する意識が変わりました。たんぱく質を摂らなくてはとか、野菜も食べなくてはと、今までもそれなりに気にはしていたのですが、ウエイトリフティングには"減量"の必要もあるので、筋肉を落とさずに短い期間に体重を落とすには、ちゃんとした知識を持っていないと、減量に失敗して計量で失格になることもあります。講習のおかげで、食べたものを記録して確認する大切さを知りました。どんなときに何が必要なのかを意識したり、理解して食べられるようになりました」。

練習中の写真

来年からは大学に進学し、競技と並行して国際法などの勉強もしていきたいという。子供のころから好きだった英語にもしっかり取り組みたいと考えている。
 「これからも、自分の強みである"足の強さ"を生かして、競技力を伸ばしていきたいと思っています。東京に生まれ育った以上は、地元開催のオリンピックに向けて、できる努力は全部したい」。
紙屋選手は相撲仕込みの根性で、今日も黙々と、誰よりも地道にスクワットをやり続ける。

強くなるためのキーワード
ウエイトリフティングは、どんな競技?

重いバーベルを持ち挙げるという、一見シンプルに見えるこの競技は、筋力だけでなく、柔軟性、瞬発力、精神面など、大胆にして細心な技術と心が求められる。試合となると、挙げる予定の重さを申告し、軽い順から試技を行うため、ライバルとの駆け引きも生じる。勝負は体重別。バーベルの挙げ方は2種目。「スナッチ」は一気に頭上まで。バーベルを肩の高さまで持ち上げた後、真上に差し挙げるのは「クリーン&ジャーク」。各種目3回ずつ試技を行い、成功した最高重量の合計で順位が決まる。

東京×ウエイトリフティング

「僕は小学生のころから、味の素スタジアム内にあったウエイトリフティングの教室に通っていました。東京都ウエイトリフティング協会の公式facebookなどに、さまざまな活動についての情報が掲載されています」

東京都ウエイトリフティング協会 publicspace:https://www.facebook.com/Tokyoweightliftintokyoweightlifting/

東京都×アスリートサポート事業

東京都は東京都スポーツ文化事業団と連携して、東京都選手の競技力の一層の向上を目指し、テクニカルサポート事業を実施しています。主な内容は、競技種目特性に応じたサポートを行う大学連携事業のほか、スポーツ医・科学人材バンク、スポーツ医・科学人材派遣、指導者講習会及び広く地域の指導者に医・科学的な情報提供を行う実践型ワークショップです。
https://www.sports-tokyo.info/sportbenefitscorporation.html

【スポーツを通して身に着けられるライフスキル】

子供のころから取り組んできた相撲から転向して、日本一をめざせる競技、世界の舞台を目標にできる競技としてウエイトリフティングを選んだ紙屋選手。様々なスポーツに親しむ一方で、学習塾に通って勉強にも力を入れ、特に好きな英語は熱心に学んできたようです。常に、どうしたら強くなれるかを考えて、自ら機会を創り出していくことで自分の可能性を広げていっています。